京都大学の学食にはぼっち席がある
❏ http://www.asahi.com/national/update/0727/OSK201307270001.html
これ、色々批判を受けてますが元京大生の1人としての見解を述べたいと思います。
記事より
設置後、ひとことカードには「コミュニケーションのとれない学生を量産する」という批判や、「日本人は壁がないと食事できないの?」という留学生の疑問も届く。
まず、記事中の「コミュニケーションのとれない学生を量産する」っていうのは意味がよくわかりませんね。ぼっち席の設置とコミュニケーションとれない学生の増加(仮に増えてるとしても)の間に相関があるんでしょうか。なさそう。別に全部がぼっち席になるわけじゃなし。なんなら京大の学生とか別に昔からコミュニケーションに難ありでしょ。
あと、「日本人は壁がないと食事できないの?」は、別に壁ない席もあるでしょという話。そういうことは京大の学食の全ての席の前に壁が設置されてから言えや。
ブコメより1
ダメだろこれは。「胸を張って堂々と孤立する」ことを学ばねばならない。普通の席で当たり前に個食できる食堂の雰囲気を作るのがあるべき姿だろ。それは孤立しても生きやすい社会にするのと同じでとても大切。
確かにそれ自体は正論ですが、別に普通の席で当たり前に個食できる食堂の雰囲気はあります。ただ、それは空いてる時の話で、混雑時に4人席とかに1人で座って食べるのは恥ずかしいというより申し訳なさが生まれるんじゃないでしょうか。1人で食べてるところに複数人で乗り込む側もためらうでしょうし。
ブコメより2
かつて変人の巣窟ともてはやされた京大でぼっちが恥かしいとか、この世の中重症だよな。
途中までしか記事を読んでないという印象。まあ会員登録しないと見れないんでしょうがないですが。記事後半には
だが、多数は支持する声。生協が発行する学内誌に学生が書いた記事では、「手軽にぼっち飯を楽しみたいあなたにおすすめ」「机の広さに孤独を感じることはありません」と記す。
とある通り、ぼっち席の設置自体は大多数の京大生に好意的に捉えられてますし、感覚的にも「おひとりさま」に抵抗のある京大生とか少ない気がします。上のブコメにも繋がりますが、「1人でご飯を食べるのが恥ずかしい」というのが京都大学においては大多数の意見ではないということです。
食堂の使い方は人それぞれ
つけ加えると、京大の学食って結構自主ゼミの勉強会とかサークルの例会とかが開かれてて、テーブルが占領されてたりとかして、1人客の人が食事しづらい空気があったんですよね。食べるところで勉強会や例会をすんなって話もあるかもしれませんが、なんせ活動場所が少ないんでしょうがない部分もあります。
それが、ぼっち席が導入されたことで複数人で話しながら食べる人と1人で来てさっと食べて帰る人で座る場所が分けられて、これって合理的だと思うんですが違うんでしょうか。
他にも色々言いたいことはありますが、1人で食堂を利用する側に立って考えた時、既に複数人が座ってるテーブルとぼっち専用席みたいなのとどっちに座ったほうが気が楽かって考えた上で批判をしていただきたいものです。
おまけ
ぼっち席を多用する大学院文学研究科修士課程1年の女子学生(22)と出会おうとするマンがいるようだな…
— ぜっきー(神) (@zekitter) July 29, 2013
ぼっち席は出会いの場!
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京都大の学生食堂にできた、一人用席「ぼっち席」が設置されています。コミュニケーションのとれない学生を量産する」という批判もあるそうですが、学生の支持は上々。みなさんはどう思いますか? http://t.co/nTS2mSghl2 http://t.co/ALyL0y88Zo
— 朝日新聞デジタル編集部 (@asahicom) July 29, 2013