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「怒る」ということと「叱る」ということ

ダンナが子供に怒らない

このエントリ見て高校時代にあったことを思い出した。


どこの学校もそうかもしれないけれど、自分が通ってた高校では、日直が学級日誌を書くという決まりがあった。日誌には自由欄みたいなのがあって、その日あったことや思っていることを書くといった使われ方をしていた。まあほとんど真面目に書かれてなかった気はするが。


ある日僕が日直だった時、確か放課後だったように思うけど、クラスの担任が女子生徒を怒鳴りつけていていて、怒られた女の子は泣いていた。
その時点では事情はよく分からなかった(あとから直接聞いた)が、ちょうど日誌を書こうとした時だったので次のような文章を学級日誌に書いた。


「怒るということと叱るということは違う。怒るのは自分のための行為であり、叱るのは相手のための行為である。教育者がすべきなのはどちらだろうか。」


ずいぶん前の話なので、正確な文章は忘れてしまったが、概ねこういった内容だったと思う。もう少し長かったかも。


今でも考えは変わっていなくて、怒るというのは自分が腹が立ったりした時に、それを発散するためにすることだと認識している。一方で、叱るというのは相手のダメなところ指摘するということだと捉えている。そして、相手に変わって欲しいのであれば、後者を選ぶべきだろう。



最初に貼ったエントリーの話に戻る。

朝、幼稚園の支度にグズグズしてるのに、ダンナは「○ちゃーん、早くしないと遅れちゃうよ~」だけ。
私は「コラ!早く支度しろ!」って怒って欲しい。そうしないと私が怒らないといけないから私ばかり嫌われる。
子供がふざけてテーブルの上に乗っていても、ダンナは「おっ、そっからこっちにジャンプしてみろ」とか。
はぁ?何考えてんだ?食卓にのぼってんだぜ?「コラッ!テーブルに乗るな!バカタレがっ!ビシッ!(と叩く)」って怒って欲しい。
子供がひょいっと道に飛び出しそうになったときも「あぶなーい!いま車来たら死んじゃうところだったー、よかった~」って感じ。
「この大馬鹿野郎!バシッ!(とビンタ)」ぐらいやってほしい。

まあ確かに幼稚園くらいの子どもだと、「なぜそれをすべきか/しては行けないか?」を指摘したところで理解できないだろうから、怒ってみたり叩いたりすることで言うことを聞かせるというのは一理あるかもしれない。


しかし、書き手の「私ばかり嫌われる。」という認識の通り、北風と太陽のように、怒ったところで子どもからの反発を産むだけだろう。もし言うことを聞いたとしてもそれは恐怖心によるものなので、いずれにしろ良いものではないと思う。


一方で、「あぶなーい!いま車来たら死んじゃうところだったー、よかった~」「○ちゃーん、早くしないと遅れちゃうよ~」といった風に、理由を説明しながら叱る(叱るというにはちょっと甘いかもしれないけど)と、子ども側としては「私のことを好いてくれてる人の言うことだからちゃんと聞こう」といった感情にならないだろうか。


また、目的としてはテーブルから降りてもらうことなので「おっ、そっからこっちにジャンプしてみろ」というのも、意図を理解してもらえないならせめて目的だけを達成する手段として上手いなと思う。


こんなことを書いていると実際に子どもを持っている親の皆様から「そんな思い通りに行くわけない!」みたいなことを言われそうだけれど、そうなるかもしれないし、そうならないかもしれない。そんなことは正直どうでもよくって、これと同じようなことは、教師と生徒でも言えるし、上司と部下の間でもあるだろう。子ども相手だけじゃなくて、世の中一般でよくあることだというのが重要だ。


怒ることも叱ることも基本的には目上の人から目下の人への行為だが、もし自分が誰かを「怒る」か「叱る」必要が出た時に、後者を選べる人間でありたいと思う。


ちなみに件の学級日誌だが、書いた翌日は下線を引かれただけで特にコメントは無かったが、卒業式あたりの時期にその担任から「あれは心に刺さった」という言葉をもらっている。