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ネット世界の既視感

僕は大学で海外インターンシップ運営サークルにも所属しているのですが、
おとといインターンから帰ってきた人の話を聞く機会がありました。


僕らのサークルからインターンに行く人には、PRや自分のインターンの記録、生存確認(割と治安の良くない土地に行かれる方もいられるのでw)的な意味でそれぞれのインターン内容についてブログを書いてもらっているのですが、僕らが思っていた以上に効果があったようです。
特に、自分の思ったことをアウトプットする場として皆さん有効に活用されてるようです。


僕も自分のしたことを明文化したり、思考をアウトプットする場としてのブログの活用は知ってはいたのですが、ついつい忙しさにかまけて更新するのを忘れてました。


彼女らは
「ブログは継続することに意味がある」
とも仰られてました。す、すいません。反省します。


というわけで久しぶりの更新です。
もっと更新頻度上げていこう。


今回の内容はこの二冊の本を読んだ感想です。
近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」 (光文社新書)
<就活>廃止論 (PHP新書)
(ちなみにこれをクリックしても僕には一銭も入りません。はてなに持ってかれるだけですw)


まずは簡単な書評から。

『近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」 』(光文社新書)
 著者はもと博報堂のマーケッターで、市場調査で若者について研究してたらそれにはまってしまって、今やこのような新書を出すに至ってるという次第だそうです。この本で主に扱ってるのは、現代のコミュニケーションツールの性質や使われ方、そしてそれに基づく現代の若者のコミュニケーションやネットワークのあり方を明らかにしています。
 まあ要するにメールや携帯、ブログやmixiなどによって情報が構成されている社会がどうなっているのかを「近頃の若者について知りたいオヤジ」向けにわかりやすく論じてくれているというわけです。こういった社会を著者は「新村社会」と言っていて、この村で起きる村八分がネットでのいじめなどであったり、うわさが伝わりやすく身動きが出来なくなってしまっているなどという問題も起きているとしている。ただ、著者はそれを悲観しているのではなく、そのネットワークをうまく活用してアクティブに活動している大学生の話なども出しながら、新村社会のあり方について、彼なりの見解を示しています。
 僕はいわゆる「現代の若者」側の人間なんですが、かなり当てはまっていると思います。特に、「異文化のくっつき」(おしゃれをするオタクの話やワロスなどのネット用語を使うギャルの話などがありました。)のところで出てくる、進学校に通う高校生の話なんかはまるで自分のことのようだと思いました。今の30代以上の人には新鮮に読めるんじゃないでしょうか。


『<就活>廃止論 (PHP新書)』
 こちらの著者は、株式会社ジョブウェブというキャリアサポート系の会社の人が書いた本です。基本的なスタンスとして、
「これから会社で求められる人材はこういう人間だ!」

「え、そういう人間になるにはどうしたらいいかって?」

「ジョブウェブへようこそ!」
的なノリで鬱陶しいんですが、言ってることはまともですね。大学と社会人が地続きであるべきだとか、学生に必要なのは「学びの気づき」でそれを得られるのがインターンシップであるだとか。まあこの辺は以前個人的に立命館の加藤敏明教授に話を伺ったときにも同じようなことを仰ってましたが。
 ただ、ターゲットがはっきりしてないのがあんまりよくないかと。学生や、大学、会社の人事など色んな人に向けて新提案を書いてあるのですが対象が多すぎて逆に曖昧になってしまってるという。
 とはいえ、これから大学に入る人や、大学1、2回生の人には今後学生生活を送る上で結構刺激になると思うので、そういう人は是非読んでみてください。



てな感じです。
で、ここからが本題になるんですが、僕がこの二つの本を読んで面白いなと思ったのは「ネットのもたらす既視感」についての記述です。
 『近頃の〜』では、ネットにおける情報の氾濫が良くない既視感を生んでいると書いてありました。
 具体的に言えば、

  • 実際にはハワイに行ったこともないのに、「ハワイは日本人ばかりで新鮮ではない」と言う
  • 起業家の愚痴が書いてあるブログを読んで「起業するより安定が一番」と考えるようになる
  • 生まれてもないのにバブルは良かったという女子高生
  • 君たちは不幸な世代と言う大人たちのせいで自分は不幸なんだと思うようになる

 のような例が挙がっており、こういった空気が閉塞感を生んでいるとしている。
 『就活〜』の方では、最後にちらっと出てくるだけなのだが、twitterのビジネス的活用法に触れ、「社会人の視点」を共有したり、頭の中に残しておくことが「社会化」につながるとしており、どちらかと言えばポジティブに捉えている。


 ふむ。
 確かにネットが発達して、多くの人が自分の意見をブログなどで発信する機会が与えられた。
 それによって、さまざまな「思考」や「感情」がネット上にあふれるようになった。このブログだってそれらの中のひとつである。
 『嘘を嘘と見抜けない人は、 2ちゃんねるを利用するのは難しい』的なありきたりな情報リテラシーの話はあんまりしたくないんですが、ようはそういうことだと思います。


 大人たちに、「暗い話はせず、明るい話をして、ビジネスに生かせるようなtweetをしていこう!」と言うのはあまり現実的ではないでしょう。いや、意味はあると思うんですが。
 それよりも、使える既視感を最大限使って、「あ、そういやあの人がつぶやいてたアイデアって何か利用できないかな?」と考えたり、閉塞感をもたらすような既視感を「大変そうだなあ。でもそれって本当?」とか「こんなのうそうそw」とか思えるような能力をそれぞれが身に着けていかなきゃいけないんだろうなと思いました。
 高校の情報とかはエクセルとかワード教えるような暇があるならこういうこと教えればいいのに。と思った今日この頃。